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オオムラサキを知ろう

オオムラサキとは

オオムラサキは、昭和32年に日本昆虫学会において、世界に誇る日本の代表的な、格調高い華麗な蝶として国蝶に決まりました。オオムラサキは、羽を広げると10センチ以上になる大型のタテハ蝶で、雄は羽の表側が美しい紫色に輝き、雌ではこの紫色の輝きがありません。成虫は6月下旬~7月下旬にかけて羽化し、国内では北海道から本州、四国、九州に、国外では中国、ベトナム、台湾、朝鮮半島に分布しています。

オオムラサキの名前について

オオムラサキ(タテハチョウ科コムラサキ族)【学名】Sasakia charonda Hewitson(ササキア・カロンダ・ヒューウィトソン)「Sasakia」は日本昆虫学の創始者ともいうべき「佐々木忠次郎博士」の名にちなんで、「charonda」は紀元640年頃、イタリアのシシリア出身で有名な立法学者「カロンダス」から、「Hewitson」はイギリス人ロバート・フォーチュンとヒューウィトソンによって世界に紹介されたことから、学名が付けられました。

国蝶になったのはいつ?

昭和31年(1956年)オオムラサキの記念切手が発行。昭和32年(1957年)日本昆虫学会で国蝶に選定されました。勇ましく、堂々としていて、華麗(気品のある美しさを持っている)である事と日本中に分布していることが理由にあげられています。 現在、環境庁では自然環境を測定する目安になる指標昆虫の一つにオオムラサキを選んでいます。

オオムラサキの特徴は?

日本のタテハチョウ科の中では最大の大きさのオオムラサキ。翅を広げるとオスが約10センチメートル、メスが約12センチメートル、南に生息しているのものより、北に生息するものの方が小型です。翅の表面の色は、オスは青むらさき色、メスは茶むらさき色。翅の裏面の色は、南のものは白色となり、北にゆくほど黄色が強い。日本の中央あたりでは白色と黄色が混在する。オオムラサキセンター周辺では、白色型と黄色型とが混在する。翅を閉じているときれいな方の翅が見えないのでオオムラサキだと分からない人が多い。普通のチョウのように「ひらひら」とは飛ばず、はばたきが機敏で滑空するような飛び方をする。飛翔の速度は速い。

オオムラサキの生息場所

九州から北海道までのほぼ日本全土に生息しているが、都市化が進み,雑木林が少なくなってきた事で現在では生息地が局地的で少なくなってきている。北限地は北海道浜益村(札幌市の北西) 南限地は宮崎県野尻町 西限地は鹿児島県出水市 国外では、中国、朝鮮半島、台湾に生息する。オオムラサキの生息地としては長坂町が日本で一番多いと言われている。昔から炭焼きが盛んで、炭の原料となるクヌギ林が多く残っていることや、八ヶ岳高原に流れる水辺にエノキが多く生えていること、冬は寒く適度に雪が降るため乾燥が少ないことなどの条件が重なり、国蝶オオムラサキの日本一の生息地となった。

オオムラサキの生活

幼虫時代は、エノキ、エゾエノキの木の葉を食べる。成虫時代は、クヌギ、ナラ、ヤナギなどの樹液を吸うが、腐った果実や動物の排泄物などの汁なども吸う。人と森とが深く関わり合っている里山のクヌギやコナラの雑木林に好んで棲んでいる。国蝶オオムラサキにとって、エノキとクヌギの雑木林は生命の源。 なぜなら、オオムラサキはエノキで産まれ、幼虫時代にはエノキの葉を食べ、蝶になるとクヌギの樹液を吸って生き、またエノキにたまごを産み、そしてエノキの近くで死んでいくからだ。人が雑木林に手を入れなくなると棲みにくくなってしまう。通常1年を一生とし、幼虫で冬を越し、夏に成虫(チョウ)になり(長坂町では7月が最盛期)、8月に産卵を終えると成虫は死んでしまう。でも、つぎの命がまためぐっていく…。

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